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蘇州のご紹介

皆様、大変お待たせいたしました。
今回は、名勝「呉の国第一名勝――虎丘」のご紹介です。


蘇州虎丘山風景名勝区は既に二千五百年余りの歴史を持っています。宋代の大詩人蘇東坡氏が嘗て唱えた「蘇州に来て虎丘を遊覧しないのは遺憾のことだ」の一句のお陰で、虎丘は観光客の憧れの地となって、従来から「呉中第一名勝」として知られていた。当風景区は相次いで、全国最初十大モデル文明風景観光地、全国AAAA級風景区と認められて、ISO09001――14001ダブルシステムの認証をパスしました。年間平均接待人数は150余万人回に達し、周恩来、ケ小平、胡錦涛などの党と国の重要責任者も嘗て当風景区に来たことがあります。
虎丘は元来海湧山と呼ばれました。「史記」の記載では、呉王??がここに埋葬されているそうです。伝説では、埋葬されて三日目「白い虎が山に蹲ったそうで、「虎丘」と名付けられたのです。敷地面積はたった三百余坪、山の高さは僅か三十メートル余りですけれども、「江南山丘の模範」と称され、中国第一の斜塔の雲岩寺塔や剣池や千人石など多数のポイントを有していて、呉地文化と江南山水を一体に融合させています。当風景区が呉の国の「三市三節」の風習によって、毎年行われる春季花祭りと秋季イベントは、既に蘇州観光祭りの重要なプログラムとなっています。」

    


「虎丘剣池」

「虎丘剣池」

四文字はわが国唐代著名な書道家顔真卿が書いた字です。
顔体は従来から「蚕の頭、燕の尾」と言われ、造詣は極めて深いです。
「剣」の「ノ」が非常に流暢な感じがしますが、「虎」の「ノ」はとても不自然に書いてあります。
そういうわけで、「偽の虎丘、本物の剣池」と言われています。
もう一つ意味があります。
ここには呉王墓の秘密を暗示しています。剣池の東西は天然形成で、虎丘の後ろは人工で作ったもので、呉王墓を隠す目的です。






【試剣石】

【試剣石】

虎丘山ではとても有名な石です。
伝説によりますと、春秋時代に、呉王天下を争うために、当時最も有名な鋳剣師干将と莫邪夫妻を呼んできて、剣を鋳造してもらいました。
虎丘山で、呉王がその「莫邪」の剣の鋭さを試すために、この石を切りました。
あっという間に石が真二つにきれいに割れてしまったそうです。
当然、いくら鋭い剣でも石を二つに切ることは出来ないでしょう。
実際に、これは火山の噴出で出来て、風化されて、剣の切れ目みたいなものを形成したわけです。


【孫武練兵場】

【孫武練兵場】

孫武はわが国の著名な軍事化です。
彼が著作した「孫子兵法」は世界兵法の始祖です。
孫武は執法が厳正で、呉王が国のことを大事にする人ですから、孫武を非常に尊敬したわけです。
今私たちが見ているこの「孫武子亭」は孫武を記念するために作ったもので、1985年に張愛萍氏がこの亭に額を題して、同時に「孫子兵法、克敵制勝、嬌娘習武、佳話流伝」という16文字を碑に刻みました。



【千人石】

【千人石】

これは虎丘のメインです。
伝説によって、呉王死後、息子の夫差が父を虎丘山に埋葬しました。
でも彼は一つ心配することがあります。
この墓を作った千人余りは皆この墓のことにくわしでしょう。
それで彼は皆を集めてきて、お祝いの酒を飲ませて、酔わせて、夜中に皆殺しをしました。
皆の血がこの石に流れ込んで、雨の日になると、この石は特に赤いです。これはもちろん昔の悲しい物語です。
当然今この石が形しっかりしていて、刀で切ったようですが、これはまったく天然の景観です。



【小武当】

【小武当】

この三門四柱の石鳥居は小武当と言います。
前に石橋があって、真ん中に青石の鳥居があって、後ろに湖石の筑山があります。
石橋は小武当と言いまして、中和橋とも呼ばれています、元来は中和井戸もありました。
鳥居の上に「呉分楚勝」四文字が書いてあります。
武当山は中国の名山の一つで、湖北均県にあり、元は楚国に属しまして、風景が優雅で道観が雄大で名を馳せています。
ここに辞を題して、小武当が湖北の武当山と似ていることが分かります。
後ろの筑山は自然に作られて、形が独特で、精巧です。
最大の湖石は一丈の高さがあります。
筑山の間には石の観音洞があって、「海潮観音」と俗称されています。
今日になって、古洞はまだ存在していますが、仏像はもう存在していません。



【二仙亭】

【二仙亭】

この亭は元々宋代の建築で、清代の嘉慶年間に重建されたものです。
この亭の周りは非常にきめ細かくて、生き生きした彫刻が入っています。
中には二つの石碑があって、それぞれ陳?と呂洞賓の神様二人彫っております。
話によりますと、ある日、その二人がここで碁をしました。一人凡人がここを通りまして、その二人を見ました。
碁が一回り終わって、彼は家に帰りました。
しかし、彼の服装を見たら、皆彼を何千年前の人だと思いしました。
ですから、「仙人の碁一回りで、世の中は千年以上経ちました」という言葉があります。
この虎丘は昔神様が居住したところだそうです。